2026年10月号
シリコンバレーでもウォール街でもない。
経済学者が暴いた「アメリカの億万長者」の正体

シリコンバレーレポート

シリコンバレー・レポート10月号_01

「アメリカの億万長者」と聞いて、誰の顔が浮かぶだろうか。
イーロン・マスクやマーク・ザッカーバーグ、AI会社の創業者、といったシリコンバレーのテック起業家だろうか。それとも、ウォール街で巨額のマネーを動かすヘッジファンドマネージャーだろうか。メディアやSNSを開けば、きらびやかなセレブリティ富豪たちのニュースばかりが目に入ってくる。

米国では誰が本当に金持ちでどうやって富を蓄積したのか?この問いに取り組んだ2人の経済学者がいる。彼らの10年以上に及ぶ研究の集大成として話題を集めているのが、先月(9月)米国で発行された書籍「The Everywhere Millionaire: Who Is Really Rich in America and How They Got There(どこにでもいる億万長者)」[i]だ。今回は、本書の核心的なネタバレを避けつつ、この本が生まれるきっかけとなった研究の背景と、私たちが抱く億万長者のイメージの決定的なズレについて紹介したい。

[i] https://www.everywheremillionaire.com/

米財務省からの「極秘依頼」からすべてが始まった

この研究の主役は、2人の気鋭の経済学者だ。ハーバード大学で博士号を取得したエリック・ズウィック[ii]と、カリフォルニア大学バークレー校で博士号を取得したオーウェン・ジダー[iii]。2014年秋、2人はシカゴ大学ブース・スクール・オブ・ビジネスの助教授に、同じタイミングで着任した。

大学院を修了したばかりの若き研究者コンビのもとに、ある日、アメリカ財務省から一つの調査依頼が舞い込む。「アメリカの事業主がどれだけの税金を納めているか調べて欲しい」。この依頼に伴い、2人はアメリカ内国歳入庁(IRS)が保管する、膨大な非公開の税務データにアクセスする許可を得る。アンケート調査でも、雑誌の長者番付のような推測でもない。国家が握る「納税記録」という、世界で最も正確かつ生々しい数字の山に切り込んだのだ。

当初はごく技術的な税制分析で終わるはずだった。しかし彼らは、複雑な税金コード、分断され、匿名化された国税庁の膨大なデータベースという迷宮に足を踏み入れることになった。企業データと個人の納税者を一人ずつ紐付けていく作業は、何年にも及ぶ気の遠くなるようなものだった。しかし、その執念のデータ分析(彼らは自分たちを税金オタクと自称するくらい[iv])を進めるうちに、2人はその結果に息を呑むことになる。

[ii] https://www.ericzwick.com/
[iii] https://zidar.princeton.edu/
[iv] https://www.npr.org/sections/planet-money/2026/09/14/g-s1-143041/the-powerful-millionaires-hiding-in-plain-sight

浮かび上がった「無名の億万長者たち」

そこに現れたのは、見たことも聞いたこともない、全米のあらゆる地方都市に拠点を置く無名の会社のオーナーたちだった。しかも、その数は半端ではない。

  • 純資産が500万ドル(約8億円)以上の世帯は約500万世帯、
  • 純資産1000万ドル(約16億円)以上の世帯(デカミリオネア)は200万世帯以上、
  • 純資産1億ドル(160億円)以上の世帯(センチミリオネア)は約6万5000世帯

これらのミリオネアの総資産は、フォーブス400の13倍以上にもなる。ジダーとズウィックの言葉を借りれば、これらの数字の圧倒的な規模が意味することはただ一つ。現代アメリカにおいて、「真の富裕層は彼ら(どこにでもいる無名オーナーたち)である」ということだ。きらびやかなニュースには決して登場しない、地方の地味なビジネスを営むオーナーたちこそが、アメリカの富を動かしている真の主役だったのだ。

The Everywhere Millionaire(どこにでもいる億万長者)

二人が9月に出した書籍のタイトルは「The Everywhere Millionaire」。直訳すれば「どこにでもいる億万長者」だ。彼らは決して派手なハイテク産業や金融工学の世界にいるわけではない。地域経済に密着した、いわゆる退屈だが手堅い実業のオーナー経営者たちだ。主な業種例は、地域密着の飲料・ビール配送ディストリビューター、商用空調設備や配管工事・電気工事会社、地元の自動車ディーラーや重機代理店、複数の拠点を展開する歯科医院・専門医療クリニックの経営者、複数店舗を展開する地域レストランチェーン、法律事務所などである。彼らはまさに、アメリカの「Everywhere(あらゆる場所)」に潜んでいる。
フォーブス誌が発表するアメリカの長者番付トップ400人(Forbes 400)のうち、約半数はニューヨーク、サンフランシスコ、ロサンゼルス、マイアミに住んでおり、残りの半数はシカゴ、ボストン、アトランタ、ワシントン、ダラス、ヒューストンといった大都市に住んでいる傾向がある。一方、これらの億万長者は、アメリカ全土に何百と点在する、ごく普通の地方都市やありふれた郊外に、ごく自然に、そして無数に暮らしているのだ。

どのようにして富を築いたか

  • オーナー個人の「人的資本」と自らの労働への集中
    トマ・ピケティの『21世紀の資本』では「資本収益率(r)が経済成長率(g)を上回るため、資産を持つ者が自動的に富む」という資本所得中心の格差拡大が強調されたが、ジダーとズウィックの分析は異なる結論を示している[v]。富裕層企業の利益の約4分の3は、オーナー経営者自身の人的資本(技能、現場での経営手腕など)に依存している。事業の成功に重要なのは、資本金や設備、その他の資産でなく、オーナーのスキル、ノウハウ、評価といったヒューマンキャピタルである。オーナーが死亡・引退すると会社の利益が8割以上急減するデータが示す通り、彼らは不労所得者ではなく、現場で猛烈に働き事業を拡大した「働く資本家」である。彼らは通常、一つの事業しか所有しておらず、趣味や関心事はほとんどなく、リスク許容度が高く、ワークライフバランスへの関心もほとんどなく、ひたすらその事業に専念する。
  • パススルー事業体による税務優遇
    億万長者の多くは、法人税と個人所得税の二重課税を回避できる「パススルー事業体」の形態をとっている。さらに、役員報酬(給与税がかかる)ではなく事業利益(自営業者税・給与税の一部を回避できる場合がある)として収益を受け取るなど、米国の税制の仕組みを最大限に活用して急速に資産を蓄積している。
  • 資本や学歴よりも「ネットワークと起業環境への早期の露出」
    ジダーとズウィックは、マイノリティ層などがこの富裕層クラスに入りにくい要因を分析する中で、単なる学歴や資本アクセスの格差以上に、「身近に起業家がいてビジネスの立ち上げ方を肌で知っている環境(人脈・ネットワーク)」の有無が決定的な差を生んでいると指摘している。

普通の中小企業でお金持ちになる、という考え方はシンプルに見えるが、実際に成功させるのは簡単ではない。多くの企業は、顧客獲得、コスト管理、人材採用と維持、競争への対応、適用される規制への遵守、そして地域および国の経済状況の変化への対応を繰り返し行わなければならない。こうした課題があり、企業価値を算出するのが難しく、金融事業者は資金を提供しにくい。通常のベンチャーキャピタルのターゲットでもない。したがって、生き残った企業は、最終的に価値ある資産となる。

[v] https://www.ericzwick.com/capitalists/capitalists.pdf

地域経済・政治への影響力

二人の経済学者は、億万長者が持つ政治的・社会的な影響力についても鋭く切り込んでいる。

  • 地方政治から連邦政治を動かすロビー力
    彼らは地方自治体、州議会、さらにはワシントンに強いパイプを持ち、自らの事業や税制優遇(パススルー減税など)を守るためのロビー活動を組織的に行っている。例えば、自動車ディーラー連合は、メーカー直販規制を働きかけ、テスラ等の直販モデルを阻む強大な政治力を行使した。

富のパイを広げつつ、自らの取り分を増やしている両面性
彼らは地域雇用を創出し経済を活性化させる原動力である一方、法規制や税制を自分たちに有利な形へ固定化させることで、格差を固定化させる側面も併せ持っている[vi]。

[vi] https://economics.princeton.edu/the-everywhere-millionaire/

最後に

今回のデータが教えてくれるのは、宇宙にロケットを飛ばすといった、きらびやかな最先端ビジネスだけが成功の道ではない、という厳然たる事実である。メディアが注目する華やかなスタートアップの世界の裏側で、地方のニーズに実直に応え続ける「地味なビジネス」こそが、最も堅実で圧倒的な富を生み出しているのかもしれない。世間のトレンドに流されず、自分の足元にある需要を見極めて事業を育てる。並外れた不屈の精神、創意工夫、リスクの許容、そして粘り強さ。それこそが、私たちが彼ら「無名の億万長者」から学ぶべき、真のサクセスストーリーと言えるのではないだろうか。

著者

川口 洋二氏

Delta Pacific Partners CEO。米国ベンチャーキャピタルの共同創業者兼ジェネラル・パートナー、日本と米国のクロスボーダーの事業開発を支援する会社の共同創業兼CEOなど、24年に渡るシリコンバレーでの経歴。NTT入社。スタンフォード大学ビジネススクールMBA。

お役立ち資料

DXの終焉と 新たな破壊サイクルAXの始まり
(アーカイブ配信)

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