2026年2月号
2026年、AIで新次元へ突入する米国ヘルスケア業界

- 1、ヘルスケア分野の世界最大規模のイベント「JPモルガン・ヘルスケア・カンファレンス」
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- 2、2026年のヘルスAI、7つのトレンド予測
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- 予測①:保険会社側でのAI導入が本格化
- 予測②:クリニカルAIアプリケーションが台頭、臨床医を介在(Clinician-in-the-loop)させたトリアージとリスクアセスメントが主流に
- 予測③:CMS (Centers for Medicare & Medicaid Services: 米国の公的医療保険制度を管理する連邦機関)がクリニカルAI診療の報酬コードの策定に取り組む
- 予測④:自己負担・自費診療(キャッシュペイ)の普及が、クリニカルAIの導入を加速させる
- 予測⑤:ヘルスケアAIデータおよびインフラの分野が注目され、投資が大幅に増加
- 予測⑥: AIによって「価値に基づくケア(Value-Based Care: VBC)」が復活
- 予測⑦:新時代の「デジタルCRO(開発業務受託機関)」が製薬業界のR&Dにおける三重苦(コスト、スピード、競争)を打破
- 著者
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1、ヘルスケア分野の世界最大規模のイベント「JPモルガン・ヘルスケア・カンファレンス」
2、2026年のヘルスAI、7つのトレンド予測
そしてJPモルガンのカンファレンスの数日後に、米国トップクラスのベンチャーキャピタルであるベセマー・ベンチャー・パートナーズが2026年のヘルスAIのトレンド予測を発表した[i]。これは同社の数百名に及ぶスタートアップ創業者およびヘルスケア業界者との対話や、同社の深いヘルスケアAIエコシステムへのネットワークをベースに導かれたものである。以下、7つの予測をまとめる。
[i] https://www.bvp.com/atlas/state-of-health-ai-2026
予測①:保険会社側でのAI導入が本格化
過去2年ほどの間、病院などの医療提供者は、管理業務の効率化、特に予約から診療報酬の回収までの「売上管理」の分野でAIを積極的に導入してきた。2026年は保険会社などの支払い側も医療提供者からのAI導入圧力に直面し、AI導入を加速せざるを得なくなると予測している。特に、保険会社の管理部門向けのAI製品の採用が増得ていくと見られている。
AIが診断漏れを特定し、完全な文書作成を促し不服申し立てを最適化することで、病院側の受取額は増加し事前の査定(支払拒否)は減少、さらに却下された請求の多くが覆される結果となっている。病院側が高品質な請求を行うことで、保険会社などの支払い側はより高度な審査が必要となり、請求件数や問い合わせ件数が増加している。また、病院側の収益確定能力の向上に伴い、保険会社側の給付支出が増加している。
2026年は、保険会社側が管理業務全体でAI導入を加速させ、病院側のAIによる効率化に追いつく必要性に迫られる。領域的には、支払いの整合性(請求が正確で、契約やポリシーに合致しているかを確認するプロセスで、具体的には、適切な請求文書化、審査の自動化、不服申し立て管理、不正検知、適切な利用規約審査など)、特定の治療や薬に対して保険会社が事前に承認を与えるプロセスの自動化(診察ガイドラインに基づく迅速な承認)、会員のエンゲージメント(保険プランのナビゲーション、適切なリスク特定など)などが挙げられている。
予測②:クリニカルAIアプリケーションが台頭、臨床医を介在(Clinician-in-the-loop)させたトリアージとリスクアセスメントが主流に
事務部門向けの管理用AIが爆発的に普及した一方で、患者のケアに直接関与する「クリニカルAI」の進展は緩やかだった。その要因には、規制の複雑さ(AI診断に対するFDA承認)、法的責任(ライアビリティ)への懸念、そして臨床医が患者と接した時間に対して報酬が支払われる従来の「出来高払い制(Fee-for-service)」における不明確な支払いモデルが挙げられる。
これらの障壁は厳然として存在し、一朝一夕に解消されるものではないが、臨床医をプロセスに確実に関与させる(Clinician-in-the-loop)ことで、自律的な診断ではなく、現行の規制や支払い枠組みの範囲内で実現でき、トリアージ(治療の優先付け)やリスクアセスメントのためのクリニカルAIが伸びると予測される。その結果、診断ミスの減少や、優先的に対応すべき患者や有効な介入手段の明確化が可能になる。
例えば、受診前に患者をリスクの高さに応じてグループ分けし、効率的な介入を行うリスク層別化(Risk Stratification)が可能になり、AIが診察前に患者の診療履歴(E HR(電子健康記録)データ、レセプトデータ、検査結果、およびSDOH(健康の社会的決定要因)をレビューし、高リスク指標のフラグ立て、関連するスクリーニング項目の提案、ケア・ギャップ(治療の遅れ、疾患の未診断・未治療、医療従事者の連携不足などによる不適切なケア)の特定を行うようになる。臨床医はこの統合された情報を迅速に確認できる。
予測③:CMS (Centers for Medicare & Medicaid Services: 米国の公的医療保険制度を管理する連邦機関)がクリニカルAI診療の報酬コードの策定に取り組む
クリニカルAIの普及を阻む最大の障壁はテクノロジーではなく「支払いモデル」である。
現在、医療提供者は処置、受診、および患者と接した時間に対して報酬を支払われており、AIによる診断、モニタリング、予防的介入に対しては報酬が支払われない。AIは予防ケアを必要とする高リスク患者を特定できるが、その予防ケアが還付の対象外であれば、医療提供者がAIの知見に基づいて行動する経済的インセンティブがない。AIがバックグラウンドで患者と対話し、診断や症状のモニタリングを自動で行ったとしても、臨床医が時間を割かなければ報酬支払いの要件を満たせない。成果に対して報酬を支払う「価値に基づくケア(バリュー・ベース・ケア:VBC)」モデルはこの問題を解決するが、現状、医療全体の30〜40%しかVBC契約下で運用されていない。
2026年、CMSは「AIファーストのケア」に特化した新しいCPTコード(Current Procedural Terminology:米国医師会が策定する診療行為を特定する5桁のコードで還付額の基準となる)や支払いモデルの試験導入を開始すると予想される。
CMSはすでに一部のAI診断に対して「カテゴリーI」のCPTコードを設定している。具体的には、(1) 糖尿病網膜症の自律型AIスクリーニング、(2) 2026年新設の冠動脈プラーク評価がある。また、AI増強心電図測定、心エコー、乳房・甲状腺超音波、その他画像診断モダリティを含む複数の「カテゴリーIII(暫定・新興技術)」コードがテスト中である。今後、AI支援診断コードの承認とテストはさらに加速すると予想される。
予測④:自己負担・自費診療(キャッシュペイ)の普及が、クリニカルAIの導入を加速させる
米国ではコンシューマー・ヘルス分野が過去数年で急成長している。その要因は、従来の医療制度の複雑さやアクセス障壁への不満、予防医療やテクノロジーによる知見への関心の高まり、そして日常生活におけるAIの普及である。
OpenAIの報告によれば、2026年1月の「ChatGPT Health」を提供開始する前から、すでに4,000万人以上が日常的にChatGPTで医療に関する質問をしており、5人に1人は週に一度は健康関連の質問をしていた。コンシューマーは、AIに健康上の助言を求めることに抵抗がなく、より質の高いケアを提供するAIに対して対価を支払う準備ができている。
10の医療施設での74万7,604人の女性を対象としたRadNetの調査では、36%がAI増強マンモグラフィ検診に40ドルの自己負担金を支払うことを選択した。結果は、AI検診を選択した女性のがん発見率は、選択しなかった女性に比べて全体で43%高く、その上昇分の21%はAI分析に直接起因するものだった。プログラムに参加した女性は、がんが発見される確率が21%高く、陽性的中率(PPV)も15%高かった。
この自己負担への意欲は、「AIファースト・ケア」の新たな市場を創出している。消費者が直接支払うことで、CPTコードや保険会社との契約、還付に関する規制の明確化を待つことなく、クリニカルAIを展開できることを意味する。
自己負担によるコンシューマー市場は、今後10年間で「AIドクター」が現実のものとなるための土台となる。規制の枠組み、法的責任モデル、信頼等の障壁は高いが、AIのケアには経済的価値があり、患者はその対価を支払う、という事実を証明している。消費者が、待つよりも払うことを選ぶというトレンドは、米国の高い医療費とアクセスの悪さが生んだ、ある意味で必然的な進化と言えるかもしれない。
予測⑤:ヘルスケアAIデータおよびインフラの分野が注目され、投資が大幅に増加
AI時代の到来で、AIモデル開発企業やAIアプリケーション企業によるヘルスケア特化型のデータおよびインフラへの需要が高まる。
予測⑥: AIによって「価値に基づくケア(Value-Based Care: VBC)」が復活
VBCでは、サービスの提供量(ボリューム)ではなく、患者を健康に保つことに対して報酬を支払う。アウトカムを中心にインセンティブを調整し、無駄な支出を削減し、質を向上させるというものである。
VBCは、理念こそ素晴らしいものの、過去10年間にわたり人件費が最大のネックだった。2022年から2024年にかけてVBC企業は過酷な淘汰に直面、多くの企業が失敗、あるいは規模を縮小し、投資家は離れていった。ところが、AIがその方程式を書き換えようとしている。AIの普及により、VBCのコスト構造は劇的に改善される。人間を介さない継続的なモニタリング、大規模かつ能動的な患者へのリーチ、個別化されたケア計画などでVBCを支える。日常的なエンゲージメントやモニタリングはAIが担える。これにより、これまで50〜75人の患者ごとに1人の看護師やケアコーディネーターが必要だったのが、AIを使えば、200〜300人の患者ごとに1人で済むことも可能である。
2026年には、新世代のAIネイティブかつVBCネイティブな企業が立ち上がり、規模を拡大することが予想される。
予測⑦:新時代の「デジタルCRO(開発業務受託機関)」が製薬業界のR&Dにおける三重苦(コスト、スピード、競争)を打破
創薬の分野はAI化に取り残されており、例えば管理ワークフローが数週間から数分へと短縮される一方で、創薬には依然として10〜15年の歳月と、承認薬1つあたり10〜20億ドルの費用がかかっている。CROは労働集約的な事業で、大勢の科学者が動物や細胞培養を用いた実験を行い、厳格な試験フェーズに従う。コスト削減のため、過去20年間にわたりCRO業務の多くは中国へとオフショア化され、現在では欧米の創薬プログラムの7割以上の前臨床業務を中国系CROが担っている。
2025年4月、FDA(米国食品医薬品局)は前臨床安全性試験における動物実験への依存を減らすための戦略的ロードマップを発表した。まずはモノクローナル抗体から即座に開始し、今後3〜5年で動物実験を標準ではなく例外とすることを目指しており、代替手段としてAIベースの計算モデル、生体模倣システム(オルガン・オン・チップ)、およびin silico(コンピュータ内)毒性予測を明示的に支持している。動物実験で安全とされた薬の90%以上が、ヒトでの有効性不足や予期せぬ安全性、毒性の問題によりFDAの承認に至らないためである。加えて、動物実験は低速(開発期間を数年単位で引き延ばす)かつ高額である(霊長類1頭あたり最大5万ドル、一般的な抗体医薬プログラムでは100頭以上を要する)。
2026年は、AIネイティブな「デジタルCRO」が登場する年となる。
物理的実験を仮想実験に置き換えることで創薬期間を数ヶ月、あるいは数年単位で短縮し、同時に創薬の米国国内回帰(リショアリング)を実現して米国の競争力を強化する。例えば、数千の実験条件にわたる細胞挙動、分子相互作用、生体経路を計算機上でシミュレーションすることで、初期段階のウェットラボ(実実験)を代替できる。
研究者は物理的な実験を一つも行わず、仮説検証や標的の特定、作用機序の立証をコンピュータ上で行うことができ、18〜24ヶ月に及ぶ反復的なラボ作業を排除できる。また、AI型治験デザイン・プラットフォームにより、どの患者層がある治療法に反応する可能性が最も高いかを計算機上でモデル化し、製薬会社がより小規模で迅速、かつ成功率の高い治験を設計できるようになる。第II相試験の90%が失敗する現状において、精緻な患者選択は結果を劇的に改善し、コストを削減する。
以上がベセマー・ベンチャー・パートナーズによる2026年のヘルスAIのトレンド予測の概要である。
冒頭で触れたJPモルガン・ヘルスケア・カンファレンスの盛り上がりも象徴的だが、2026年はヘルスケア業界がAIにより次の次元へ突入する年になりそうだ。これまでの電子カルテ化やデジタル化(ヘルステック1.0)が医療の情報をでデジタルに移すフェーズだったとすれば、ヘルステック2.0は「AIが医療業務そのものを担い、成果を出す」フェーズである。
人間が行っていた高度で複雑な業務をAIが代替・提供することで、医療機関・保険機関双方のコスト構造が変わり、消費者の健康に対する考え方も変わり、新しい事業機会が生まれていく可能性が高い。
(以上)
著者
川口 洋二氏
Delta Pacific Partners CEO。米国ベンチャーキャピタルの共同創業者兼ジェネラル・パートナー、日本と米国のクロスボーダーの事業開発を支援する会社の共同創業兼CEOなど、24年に渡るシリコンバレーでの経歴。NTT入社。スタンフォード大学ビジネススクールMBA。

DXの終焉と 新たな破壊サイクルAXの始まり
(アーカイブ配信)




米国のテック業界では例年、ラスベガスで開かれるCES(コンシューマー・エレクトロニクス・ショー)が新年のスタートを告げる。一方、サンフランシスコでは、ヘルスケア分野で世界最大規模のイベント「JPモルガン・ヘルスケア・カンファレンス」が開催される。2026年は1月12日〜15日に第44回が開催され、世界中の製薬企業、バイオテック企業、投資家など業界の主要プレイヤーが集結、約9,500人が参加し、最新のヘルスケア技術や業界トレンドが共有された。
この時期にはサンフランシスコの宿泊施設はほぼ満室となり、宿泊費は1泊1,000ドル(約15万円)を超えるケースも多い。
図1. 毎年1月にサンフランシスコで開催されるJPモルガン・ヘルスケア・カンファレンス(写真はJPモルガンのWEB[i]より)
今回のJPモルガンのカンファレンスの最大のテーマは、“AIがアイデアレベルから実際に投資対効果を生むまで実用的になってきた”ということで[ii]、NVIDIAとイーライリリーが、サウスサンフランシスコに新たな共同AI研究施設である「Co-Innovation AI Lab」を設立し、向こう5年間で10億ドルを投資する計画を発表した[iii]。
ヘルスケアサービス分野では、アンビエントAI(医療現場で自然に動作するAI)やAIエージェントによる診療記録の作成など業務自動化が大きな注目を集め、立ち見が出るセッションもあったようだ。M&Aでは、ボストン・サイエンティフィックがペナンブラを145億ドルで買収することを発表し、医療機器分野のM&Aが最大のニュースとなった。
[i] https://www.jpmorgan.com/insights/banking/investment-banking/health-care-conference-2026-trends
[ii] https://pitchbook.com/news/reports/q1-2026-pitchbook-analyst-note-takeaways-from-the-j-p-morgan-healthcare-conference
[iii] https://investor.nvidia.com/news/press-release-details/2026/NVIDIA-and-Lilly-Announce-Co-Innovation-AI-Lab-to-Reinvent-Drug-Discovery-in-the-Age-of-AI/default.aspx