AXの教科書
第6章 AI活用が「当たり前」の会社にするために

――ボトムアップ軸の出発点。導入で終わらせず、定着させる
前回、AXの王道は「トップダウンとボトムアップの2軸を両輪で回すこと」だとお伝えしました。今回からはボトムアップ軸の深掘りです。その出発点は、社内でAIを使うことが「当たり前」になっている状態をつくることです。
「導入したのに、使われない」はなぜ起きるのか
目指す状態――インターネット検索と同じくらい、自然に
では、定着のゴールはどこにあるのでしょうか。
イメージしていただきたいのは、インターネット検索です。いま、調べ物をするときに「検索を使うかどうか」を迷う人はいません。会議で知らない言葉が出れば手元で検索する。誰にも指示されず、研修も受けず、ごく自然にそうしています。
AIも同じ状態を目指します。文章を書く前に、まずAIにたたき台を作らせる。会議が終わったら、録音をAIに要約させる。判断に迷ったら、AIに相談相手になってもらう。「AIを使うかどうか」を考えることすらなく、自然に手が伸びる状態。 これが「当たり前」の定義です。本コラムでは、この状態をつくることをAI活用の当たり前化と呼びます。
そして、この状態に近づくだけで、経営には目に見える変化が起きます。資料作成、調査、議事録、報告書――いわゆる間接業務にかかる時間が薄くなっていき、間接費用のコスト構造が変わり始めるのです。
「文章を書く力が育たなくなるのでは」という声に
AI活用の当たり前化を進めていくと、社内から必ずと言っていいほど、こんな声が上がります。「AIに頼っていたら、文章を書く力が磨かれないのではないか」「議事録を作る力が育たないのではないか」。
この心配への答えは、正直に言えば「その通りです」。AIに任せれば、文章を書く力や議事録をまとめる力は、以前ほど身につきません。
しかし、問いを一段手前に戻してみてください。そもそも、その力を時間をかけて身につける必要が、これからもあるのでしょうか。
電卓が登場したときのことを想像してみてください。それまで計算は、そろばんや筆算で身につけるべき技能でした。多くの人が計算を電卓に委ねるようになったとき、「計算能力が身につかなくなる」という批判もあったはずです。しかし現代の職場で、従業員がわざわざ筆算で集計をしていたら、むしろ「何をやっているんだ」と注意される側でしょう。計算の正しさの価値が消えたのではありません。その作業に人の時間とスキルを注ぐ理由が、なくなったのです。
いま起きていることは、これとまったく同じ構図です。文章の下書きや議事録の作成は、時間をかけてスキルを磨く対象から、AIに任せる対象へと変わりつつあります。代わりに人が磨くべきは、AIの出力の良し悪しを見極める力であり、そもそも何を誰に伝えるかを決める力です。
大切なのは、この事実に一人ひとりが客観的に気づいていける文化を育てることです。「手で書くことこそ誠実だ」という感覚は、電卓が出る前の「計算は手でやるものだ」という感覚と同じで、時間とともに入れ替わっていきます。その入れ替わりを、批判や摩擦ではなく「そういう時代の変化なのだ」という共通認識として受け止められる組織が、AI活用の当たり前化の先へ進めます。
社員のスキルは「ピラミッド」で捉える
定着の話をするとき、「全社員をAIの専門家にしなければ」と身構える経営者がいますが、その必要はありません。社員のAIスキルは、AIスキルピラミッドとして段階で捉えてください。
図:AIスキルピラミッド
土台となるのは、AIリテラシーの層です。AIの価値も、リスクや不得意分野も理解したうえで、日常業務で自然に使える。全社員に求めるのはここまでです。
その上に、AIクリエイティビティの層があります。「この業務は、AIでこう変えられそうだ」と、活用のアイデアを考案する企画・発想のスキルです。
さらにその上が、AIプロンプトデザインの層。プロンプト(AIへの指示文)をうまく設計し、意図どおりの出力を安定して引き出せる。各部署に数人いれば十分です。
頂点は、テクニカルスキルの層です。AIと特定の業務を掛け合わせて、仕組みとして組み上げる、より実践的なスキル。会社に数人いれば、その会社のAXは走り続けられます。
大切なのは、まず全社員を土台の層に引き上げることです。ピラミッドは下から積むものです。一部の達人を育てるより、全員の底上げが先。「AI活用の当たり前化」とは、この土台の層を全社に広げることに他なりません。
定着の4つの打ち手

図:AI活用を当たり前にする定着の打ち手の4事例
では、どうやって土台に引き上げるか。実践的に効果が高いのは、次の定着の4つの打ち手です。
打ち手①:ハンズオン研修を、繰り返す。
一度きりの座学研修は、ほぼ効果がありません。有効なのは、自分の業務を題材に、その場で手を動かすハンズオン形式です。そして重要なのは頻度です。月に1回、30分でも構いません。「研修をやった」ではなく「定期的にやり続けている」状態をつくる。習慣は繰り返しからしか生まれません。
打ち手②:特定業務でのAI活用を、義務にする。
「使いたい人は使ってください」では、使わない人は永遠に使いません。最初の習慣づけとして、この業務は必ずAIを通す、と決めてしまうことが有効です。たとえば「会議の議事録は必ずAIで要約する」「社外向け文書の下書きは必ずAIに作らせる」。義務化と聞くと強引に感じるかもしれませんが、狙いは強制そのものではなく、全員に「最初の成功体験」を届けることです。一度便利さを体感した人は、指示されなくても使い始めます。
打ち手③:経営層から「どんどん使え」と言い続ける。
社員がAIを使わない理由として意外に多いのが、「使ってよいのか分からない」「サボっていると思われそう」という遠慮です。だからこそ、経営層からの明確なメッセージが効きます。「どんどん使ってほしい。AIに任せられる仕事はAIに任せて、あなたにしかできない仕事に時間を使ってほしい」。これを一度ではなく、朝礼で、会議で、社内報で、繰り返し発信する。使うことが会社の方針だという安心が、行動を変えます。私たちがご支援する現場でも、経営層がこれを言い続けている会社は、定着のスピードがまるで違います。
打ち手④:ツールを目利きし、入れ替え続ける。
第3回・第4回でお伝えした生成AIの5つのレベル――AIの実力をLv.1〜Lv.5の5段階で見る物差し――を思い出してください。AIツールの実力は、いまも急速に上がり続けています。1年前に導入したツールが、今では見劣りすることも珍しくありません。精度の低いツールを我慢して使わせることは、「AIって結局この程度か」という失望を生み、AI活用の当たり前化を止めてしまいます。常に精度が高く、機能性の高いツールを適切に選び、古いものに固執せず入れ替える。 半年に一度は「いま使っているツールが最適か」を見直してください。
安心して使うための、最低限のルール
思い切り使ってもらうためには、守りも一言添えておく必要があります。といっても、分厚いポリシー文書は要りません。社員が明日から守れるシンプルな約束事を5つほど決めれば十分です。
たとえば――業務では会社が承認したAIツールだけを使う。AIの出力は人が確認してから外部に出す。使いたい新しいツールが見つかったら、勝手に使わず承認を申請する。AIの出力に問題があったらすぐ共有する。ルールと承認ツールの一覧は定期的に見直す。
ここで、古くなりつつある認識を一つ更新しておきます。「AIに個人情報や機密情報を入力してはいけない」という一律の禁止を、いまだにルールの中心に置いている会社が少なくありません。しかしAIサービスのセキュリティは着実に上がっており、データの扱いが契約で明確に守られ、個人情報を入力しても安全に使えるツールは増えています。一律に入力を禁じてしまうと、顧客対応や社内データの分析といった、AIが最も力を発揮する業務が丸ごと対象外になってしまいます。線の引き方は「何を入力してはいけないか」ではなく、「どのツールなら安心して任せられるか」――つまりツール単位の承認で考えるのが、いまの現実的な守り方です。
ルールは、活用を縛るためのものではありません。「ここさえ守れば、あとは自由に使ってよい」という線を引くことで、社員が安心してアクセルを踏めるようにするためのものです。
ケーススタディ:従業員80名の専門商社
ある専門商社では、AIツール導入から3ヶ月経っても利用率が1割に届きませんでした。そこで社長は打ち手を切り替えます。
まず「見積もり依頼への一次回答の下書きは、必ずAIに作らせる」と1つの業務だけ義務化しました。あわせて月1回、30分のハンズオン会を始め、うまくいった使い方をその場で共有する。社長自身も毎回参加し、「AIに任せられることはどんどん任せてくれ」と繰り返し伝えました。
半年後、利用は義務化した業務の外側へ自然に広がっていました。報告書、メール、翻訳、企画のたたき台。ある社員の言葉が印象的です。「最初は面倒でしたが、今はAIなしで仕事をしていた頃を思い出せません」。AI活用の当たり前化とは、こういう状態を指します。
自社の「当たり前度」を確かめる3つの質問
最後に、自社の現在地を測る質問を3つ置いておきます。
先週、AIを一度でも使った社員は何割いるか。経営会議に出てくる資料の作成に、AIは関わっているか。いま使っているAIツールを最後に見直したのは、いつか。
3つとも即答できなければ、まだ「導入」の段階です。焦る必要はありません。4つの打ち手のうち、できていないものから始めてください。
次回は、AI活用の当たり前化の先にある落とし穴の話をします。AIを使っているのに、なぜか忙しさが変わらない――その原因は、「効率化」で止まって「自動化」まで進んでいないことにあります。
今回の要点
- 導入と定着は別の仕事。目指すのは、インターネット検索と同じくらい自然にAIを使う状態
- 全社員をAIスキルピラミッドの土台(リテラシーの層)に引き上げることが最優先
- 定着の4つの打ち手は、ハンズオンの繰り返し・特定業務の義務化・経営層のメッセージ・ツールの目利きと入れ替え
著者

茨木 雄太氏
アンドドット株式会社 代表取締役
2017年頃からソフトウェアエンジニアとして様々な業界の新規事業開発に携わる。2020年にject株式会社を設立し、新規事業開発支援を通して企業成長。2023年に生成AIに特化したアンドドット株式会社を設立。
法人生成AI活用普及協会(GUGA) 協議員 / 情報経営イノベーション専門職大学 客室教員 / ”Nasa Space App” 最優秀賞 /“QTnet TUNAGU ” 最優秀賞



図:導入と定着は、別の仕事
多くの会社で、同じ光景を目にします。
AIツールを全社契約した。初回の説明会には大勢が参加した。最初の1ヶ月は物珍しさで使う人もいた。しかし3ヶ月後、日常的に使っているのはもともとITに強い数人だけ。残りの社員のアカウントは眠ったまま――。
原因は、社員の意欲や能力ではありません。導入と定着は、まったく別の仕事だからです。ツールを配ることは導入であって、定着ではありません。人の習慣は、道具を渡されただけでは変わらないのです。