AXの教科書
第11章 もっと未来の社会について考えてみる
――AIは労働ではなく社会構造を変える

――連載の最終回。AXの先にある社会と、それでも変わらないもの
前回、AXの推進者は経営者であるべきだ、という結論をお伝えしました。自社のAXを動かし始める準備は整いました。
最終回では、少し遠くを見ます。ここまでの10回では、主に「企業経営」の文脈でAIを論じてきました。業務の仕分け、AI活用の当たり前化、業務の自動化、組織デザイン、外部環境の見立て。いずれも大切なテーマですが、AIの影響はそこにとどまりません。
AIが変えるのは「仕事のやり方」ではなく、「社会の仕組み」そのものです。
AIは社会のインフラを書き換え始めている
「働く」の意味が変わる時代に
少し、歴史を振り返ってみます。
人類の長い歴史の中で、「働く」とはほとんどの場合「生きるために必要な作業をする」ことでした。産業革命がその一部を機械に代替させ、IT革命がデジタルで効率化した。そしてAI革命は、知的労働の多くを代替しようとしています。
産業革命のとき、人々は「機械に仕事を奪われる」と恐れました。実際には、機械が単純労働を代替した結果、人間はより高度な仕事に移行し、生活水準は大きく向上しました。AI革命でも、同じ方向の変化が起きる可能性は高いと考えています。
ただし、今回はスピードが違います。産業革命は100年単位の時間軸で社会を変えましたが、AI革命はそれより一桁速く進むと見られています。
AIが定型的な知的労働の多くを代替したとき、「働く」の意味は根本から変わります。企業が従業員に提供するものは「給与と雇用の安定」だけではなくなるでしょう。成長の機会、社会への貢献実感、共に挑戦する仲間。こうした要素が、人が企業に求めるものの中心に移っていく。
経営者として、問うてみてください。「AIが十分に発達した世界で、それでも人が自社で働きたいと思う理由は何か。」 この問いに答えられる企業が、AI時代に人を惹きつけ、育て、活かすことができるはずです。
それでも"人間"に残るもの

図:AIが進化するほど際立つもの ― 感情を届ける
社会が大きく変わり、労働の在り方が変わる。そう聞くと、不安を感じるかもしれません。しかし、ここで目を向けていただきたいのは、AIがどれほど進化しても変わらないものの存在です。
入院中の子どもに、絵本を読み聞かせる看護師を思い浮かべてください。物語を音声で流すだけなら、AIのほうが上手かもしれません。それでも、その人がベッドの横に座り、ページをめくりながら子どもの表情を見て、笑い合う。その時間の価値は、読み上げの正確さとは別のところにあります。
介護の現場で、入居者の同じ思い出話に何度でも耳を傾ける職員。話の内容を記録するだけならAIで足ります。しかし「聞いてもらえた」という体験そのものが、その人の一日を支えている。
学校の卒業式で、担任が一人ひとりに掛ける最後の一言。情報としては数秒の言葉です。それでも、その言葉を何年も覚えている卒業生がいる。
ライブ会場での、生の演奏。同じ音源を家で聴くだけなら、音質はそのほうが上かもしれません。それでも、その場の熱と、演者と観客が一体になる空気は、記録では届きません。
レストランで、料理人が一皿の物語を語る時間。味の説明はAIにもできます。しかし、つくり手が目の前で食材の背景やこだわりを語ることで、同じ料理の体験が何倍にも深まります。
共通するのは、感情を届けるという行為です。感動、共感、温もり、安心感。人が人に対して感情を届ける営みは、AIがどれほど進化しても置き換えられません。むしろ、定型の仕事がAIに移るほど、この営みの価値は際立っていきます。
これは、経営にとっても本質的な示唆を含んでいます。AI時代に企業が提供すべき最も大切な価値は、効率やスピードではなく、顧客に、そして働く仲間に「感情を届ける」ことかもしれないのです。
道具は古くなる。問いは古くならない
この連載を通じて、さまざまな道具をお伝えしてきました。業務の3カテゴリ分類、生成AIの5つのレベル、AX推進の2軸、AIスキルピラミッド、AIへの業務移譲の4段階、AIネイティブ組織の6つの条件、外部環境変化マップ。
しかし、正直にお伝えします。これらの道具は、いずれ古くなります。半年後には、もっと良い整理が生まれているかもしれません。1年後には、AIの能力が今とは比較にならないほど進化しているかもしれません。
それでも、古くならないものがあります。第2回で投げかけた、あの問いです。
「その仕事は、なぜ人間がやっているのか。」
振り返れば、この連載は、同じ問いを場所を変えて繰り返してきたのだとも言えます。業務に向ければ、「人の本質業務」「今は人が担うべき業務」「AIやシステムに任せる業務」という3カテゴリの仕分けになりました(第2回)。組織に向ければ、「この仕事は、人に渡す前にAIに渡せないか」という仕事の渡し方の問い直しになりました(第8回)。事業に向ければ、「この仕事は、これからも顧客から頼まれるものか」という外部環境の見立てになりました(第9回)。そして社会に向ければ、この最終回で見てきた「働く」の意味の問い直しになります。
AIが進化するほど、この問いを立て直す頻度は上がっていきます。半年前の答えが、もう正しくないかもしれないからです。しかし、問いそのものは変わりません。そして、問い続けた先に残る答えの中心も、おそらく変わりません。人が人に感情を届けること。信頼を築き、人を動かすこと。前の節で見た、人間にしか届けられない価値です。
だとすれば、経営者の仕事は、はっきりしています。この問いを自社に向けて立て続けること。答えとして残った「人にしかできないこと」に、社員の時間と自社の価値を集めていくこと。そして、その問い直しの先頭に自分が立つこと。第10回の結論――AX推進者は経営者であるべき――は、社会の未来というこの最終回の視点から見ても、同じ形で立っています。

著者

茨木 雄太氏
アンドドット株式会社 代表取締役
2017年頃からソフトウェアエンジニアとして様々な業界の新規事業開発に携わる。2020年にject株式会社を設立し、新規事業開発支援を通して企業成長。2023年に生成AIに特化したアンドドット株式会社を設立。
法人生成AI活用普及協会(GUGA) 協議員 / 情報経営イノベーション専門職大学 客室教員 / ”Nasa Space App” 最優秀賞 /“QTnet TUNAGU ” 最優秀賞



教育を考えてみてください。一人の教師が30人の生徒に同じ授業をする。これが「教育」の前提でした。しかしAIは、一人ひとりの理解度に合わせた個別最適な学習を可能にします。教師の役割は「知識を伝える人」から「学びを導く人」へと変わっていくでしょう。
医療はどうでしょうか。地方の診療所にいても、AIの診断支援があれば、初期判断の質を大きく引き上げられる時代が見えてきています。「どこに住んでいるか」で医療の質が変わるという不平等を、AIが埋めていく可能性があります。もちろん、医療には規制や専門医の確保といった、AIだけでは解決しない課題が並走します。それでも方向は変わりません。
行政手続きにもAIの波は及びます。「平日に窓口に行かなければならない」という前提がなくなったとき、行政サービスの在り方そのものが変わります。書類の自動作成、審査の効率化、24時間の問い合わせ対応。行政の「使いにくさ」は、技術の問題ではなく前提の問題だったことに気づかされます。
地域社会への影響も見逃せません。地方の企業にとって長年の制約は、専門人材が集まりにくいことでした。設計、法務、マーケティング、データ分析。こうした専門機能の一部をAIが担えるようになると、地方の会社が都市部の大手と同じ土俵で戦える場面が増えていきます。「どこにあるか」ではなく「何を提供できるか」で選ばれる。AIは人材の偏りというハンディキャップを埋め、地方の可能性を広げる力を持っています。
これらは遠い未来の話ではありません。すでに世界のあちこちで始まっていることです。